ドイツ・オーバーアマガウ 壮観なキリスト受難劇

日本経済新聞連載「地球は面白い」第22回
夕刊コラム 2000年9月6日掲載

東洋英和女学院大学長 塚本哲也


 木彫りで有名なオーバーアマガウという南ドイツの小さな村は十年に一回、世界中に有名になる。十年ごとに村中総出で、キリスト受難劇を五月から九月末までの五ヶ月という長い間、演じつづけるからだ。これを見るためにヨーロッパはもちろん、遠くアメリカから多くの人々が巡礼のようにやってくる。その数五十万人。人口はわずか五千三百人、いつもはアルプス山麓の静かな村だが、ほぼ三百七十年前の一六三三年、ヨーロッパ中に黒死病といわれる伝染病ペストが荒れ狂った時、神に加護を祈って奇跡的に助かった。信仰篤い村人たちは感謝のしるしとして十年ごとにキリストの受難劇を演じ、神にささげる誓いを立て、翌一六三四年に一回目の上演を行った。以来この村は約束を忠実に守り、ほぼ十年ごとに受難劇を演じて、聖なる文化的伝統となりいつのまにか有名になった。

 今年は西暦二〇〇〇年で、四十回目に当たる。時によって多少ずれたこともあったが、村人たちは困難にもめげず信念をもって伝統を守ってきた。ヒトラーは一九三〇年と三百年祭の一九三四年の二回見に来て、反ユダヤをあおったが、政治的、宗教的に面倒なことも多くある。村は今年もユダヤ関係者を招いたりして、気を遣っている。

 私もほぼ三十年前にこの受難劇を見た。村の広場にある巨大な野外舞台で、八月末、山の空気は冷たく、冬服で毛布をひざにかけて見物した。朝は午前九時に開幕、お昼は三時間の休憩、夕方五時まで劇はつづくが、キリストが十字架にかけられる頃、山あいだけに雷鳴がとどろく時もあり、真に迫る情景になる。

 出演者は素人の村人だけで、入れ代わり立ち代り舞台に出る村人は延べ千八百五十五人、もっとも多い時には一度に七百五十人も舞台に集まり、壮観である。山羊やろば、馬などみな本物で、その他は裏方、民宿などの世話をする観光係など、村中総出の大事業だ。

 今年ここを訪れた知人の民宿先の息子さんはユダの役で、大忙しだったという。村おこしという実益が目的ではなく、篤い信仰から始めたことだったが、村に八十億円もの収入をもたらす結果になった。

 村人は平素はいつも木彫りの彫刻や酪農にいそしみ、牛の群れは牧童もいないのに自ら山に行って夕方には帰ってくるというアルプスの緑に包まれた静かな村である。道端には木彫りのマリア像が立っている。


(C) TSUKAMOTO, Tetsuya

禁:無断転載