受難曲とオーバーアマガウ受難劇

比較の私的試み

2000年AVACO海外研修のバス内での小講義

ルーテル学院大学 徳善義和教授


1.オーバーアマガウの受難劇への途上であるが、私にとって、また同行の何人もの方にとって親しい、たとえばJ.S.バッハのマタイやヨハネの受難曲、さらには、H.シュッツの受難曲と、オーバーアマガウの受難劇とを、ある意味でプロテスタントの受難受容とカトリックの受難受容という点で比較して、考察することを試みてみたい。

2.シュッツやバッハの場合にそうであるように、プロテスタントの受難曲は、主の受難の聖週の礼拝のための音楽である。したがって、その基本は聖書の受難物語の朗読を中心とする。シュッツの場合はこれに徹するとすら言ってよい。バッハの場合には、主の受難についての福音書の告知を中心に、これに対する当時の弟子たちや信仰者たちの信仰的な応答がアリアの形で歌われ、さらに現在の教会の会衆のコラールがこれに合い和して歌われることになる。

3.宗教改革以来、聖書を大切にするプロテスタントの受難曲では、個々の福音書の受難記事が尊重される。したがって、受難曲では、4福音書の中から基本的にひとつの福音書が選ばれ、その受難物語が通してテナーの「福音書記者」によって朗読される。会衆は年毎にいずれかの福音書によって主の受難に接するのである。4福音書がなんらかの仕方で調和されて、ひとつの受難物語を構成するということではない。夫々の福音書の固有な「主の受難証言」にひたすら耳を傾けるのである。ここから、例えばバッハの「マタイ受難曲」と「ヨハネ受難曲」のはっきりとした受難証言の違いが音楽的にも表現されて響いてくる。しかも、これらの受難曲では、夫々の受難証言に引用される以外の旧約聖書の引用はない。

4.これに対してオーバーアマガウの受難劇は礼拝の脈絡ではなく、ひとつの村の民衆の素朴な信仰心から起こったもので、中世以来の「民衆劇」の伝統に根差す。全体として聖書的だが、由来する17世紀のローマ・カトリックの聖書理解、受難理解を背景とする。これは二つの面で顕著に現れる。ひとつは、旧約聖書の用い方である。旧約を「予型」、「予言」、「予告」として、イエスのできごとにその成就を見ようとする解釈のタイプである(専門的にはこれを予型論的解釈」と呼ぶ)。いまひとつは、「4福音書の調和」である。つまり、4福音書が夫々に伝える主の受難物語を調和させて、ひとつの受難物語を創り出そうという試みである。この受難劇の聖書部分はこのように構成されている。

5.どのように構成されようが、聖書の受難物語に対して、ソロや合唱がその時代の流れの中で応答する部分は、プロテスタントの受難曲でも、オーバーアマガウの受難劇でもほぼ共通している。17世紀、18世紀の音楽的表現にも当然影響を受けてのことである。夫々に信仰者の切々たる思いを訴えて、聞く者に訴えてくる。

6.プロテスタントの受難曲にのみ見られるのが、会衆の讃美歌(コラール)である。ルターの宗教改革によってもたらされ、以後プロテスタント教会の礼拝の中で確乎たる位置を占めるに至ったコラールは、受難物語の節々で、主の受難に応答する、今の会衆の歌となる。受難曲では会衆は自らも主の受難にあずかって、あるいは心のうちで、あるいは声に出して、これらのコラールに合い和した。主の受難の福音に対する、会衆の信仰的応答にほかならない。

7.私はプロテスタントの受難曲とカトリックの受難劇として私的な比較の試みをしてみた。しかし、どちらかを優れたものとする意図はない。比較して夫々の特質を明らかにしてみようと試みたものにほかならない。

8.いずれにせよ、伝えられているのは「主の受難」である。夫々の仕方でこの「主の受難」を伝え、証ししようとした信仰の先達たちがいたのであり、20世紀の最後の年にこれに触れて、同じ「主の受難」を心に刻もうとする私たちがいるのである。受難劇にせよ、受難曲にせよ、夫々に触れて、「観客」ではなく、、信仰的に「主の受難」の「証人」に加えられていくことこそ、それだからこれを証しすることこそ、大切なことではなかろうか。受難劇を観ながら、心にもつ感動はこのための力となるであろう。


(C)徳善義和

禁無断転載

この小講義は徳善教授のご好意でここに掲載するもので、著作権は徳善教授にあります。著作権者に無断で印刷して配布することは法律で禁じられています。