月刊みるとす 2000年6月号

生まれ変わった「キリスト受難劇」
ドイツのオーバーアマガウ村で330年以上続けられている受難劇は、ついにその反ユダヤ的内容を改善し始めている。
(エルサレム・リポート誌より)

 すべては1633年に始まった。当時のドイツは新旧キリスト教の間で起こった30年戦争のまっただなかで、バイエルン・アルプスの山岳の村オーバーアマガウは、スウェーデンの軍隊に包囲されていた。ペストが猛威を振るい、村の人口600人のうち100人が犠牲になった。地元の言い伝えによれば、もし村を守ってくれらイエス・キリストの死と復活の劇を上演すると、敬虔なカトリック教徒たちが神に誓いを立てたという。

 オーバーアマガウは難を逃れた。そこで村人たちは誓いの言葉を守り、野外劇を繰り返し上演することで変わらぬ信仰と神への感謝を表現した。現在、人口5350人のオーバーアマガウは、それ以来はほぼ10年ごとにキリスト受難劇の上演を続けてきた。今年行われる6時間の劇の制作には、2200人が参加している。5月21日から11月までの間、週に5回上演され、チケット代だけで3000万ドル(約32億円)の収入になる見込みだ。

●ヒトラーも賛えた劇

 だが、キリスト受難の元凶であるという責めを受けているユダヤ人にとって、このイベントは暗い一面ももっている。しばしば熱狂的な反ユダヤ主義の引き金になってきたからだ。1934年に行われた300周年記念公演を観劇したヒトラーは、対ユダヤ人戦争の「貴重な武器」になると大喜びで賛えたという。

 年月を経て劇の意味合いも変化してきたが、1990年に行われた前回の公演でさえ、パリサイ派のユダヤ人は全身黒ずくめの衣装で悪魔の角のような帽子をかぶっていたのに対し、イエスやその弟子たち、それにローマ総督のピラトでさえ、白い衣装を身につけていた。イエスがユダヤの血を引いていることは劇の中ではいっさい触れられず、ユダヤ人は血に飢えた罪人か、陰謀に長けた守銭奴として描かれている。

 ユダヤ人の描き方で最も問題なのは、彼らはイエスの死に責任があり、その罪はまだ消えていないとしている点だろう。舞台の上では、ユダヤ人の群衆がイエスの処刑を求めて叫び、そのうちの一人があの悪名高いマタイ伝の「血の誓約」を詠唱している。「彼(イエス)の血の責任は、我々と子孫にある」というマタイ伝の一節(27:25)は、2000年の間ユダヤ人を悩ませてきた。

●問題の部分を大幅に変更

 だが、第1回の上演から336年たった今、それらすべてが変わろうとしている。西暦2000年を迎えた今年の舞台では、もっとも問題の大きい部分を削除した新しいバージョンがお目見えすることになった。変更の結果、より微妙なニュアンスを持つ歴史に忠実な舞台になったと、新しい台本を執筆したオットー・フーバーは『エルサレム・リポート』誌に語っている。

 「私たちが新しい時代の幕を開けるのです」と、地元の高校で文学と演劇を教えているフーバー(53歳)は言う。「私たちは自分の罪を認め、この受難劇が第三帝国下でのユダヤ人迫害の素地を作ってしまったことを、心から悔いています。この劇によって、人々がユダヤ人に対して理解を深める手助けをしたいのです。そのため私たちは、ラビを招いてユダヤ教について話し合いました。また1998年の過越祭のときには、出演する俳優全員がイスラエルを訪問し、ユダヤ教の神学者たちと会い、シナゴーグを訪れ、マツァーを食べました」

 フーバーが劇の刷新に熱心なのは、個人的な動機もある。彼の父親はナチス党員だった。「私は父を愛していましたが、ナチスのことではずいぶん喧嘩をしました。ユダヤ人のために何かしようと思ったのは、たしかにそのことが大きく影響しているでしょう」と言う。

 今年の舞台の監督をつとめるクリスティアン・スタクル(39歳)は、さらにこう付け加えた。「ベルリンで受難劇の展覧会を開催し、この劇がヒトラーに気に入られたことやナチスに悪用されたことを強調して伝えました。私たちはその過去と完全に決別しなければなりません」

 2000年版では、イエスの人物像にも大きな変更が加えられた。ユダヤ人としての面がより強調され、例えば過ぎ越祭のセデルの席で、イエスがヘブライ語で祈りを唱える場面も登場する。弟子たちはイエスを、今までのような「師」ではなく「ラビ」と呼んでいる。

 処刑を求めるユダヤ人の群衆も、全員が怒りで我を忘れているわけではない。中には、判決を受けるためにピラトの前に立ったイエスを実際に助ける者もいる。白と黒の衣装で善パリサイ派の衣装は黒ずくめではなくなった悪を表現するのもやめた。イエスを非難した者たちをパリサイ派で一括りにしていないため、ユダヤの聖職者全体を糾弾するような色合いも薄れた。そして最も重要な変化は、血の誓約を取り除いたことだ。

 そのほかの変更は、イエスの死が今までの台本で描かれていたほど単純なものではないと伝えている。ピラトはパリサイ派に利用されたように描かれてきたが、実際には彼らに対して権力を持っていた点も強調された。十字架に掛けられたイエスを嘲笑するのはユダヤ人だけだったが、今回からはローマ兵も加えられる。

 ユダヤ人の多様性を表すために、ヘブライ語の名前に混ざってギリシア語の名前も登場する。そしてユダは、銀貨30枚でイエスを売った貪欲なユダヤ人ではなくなった。「新しいユダは熱狂的なイエスの信者です。イエスに失望したのであって、お金がほしかったのではありません」とフーバーは言う。「これはユダヤ人の葛藤の物語です。単純に善悪はつけられません」

●ユダヤ・カトリックの関係改善の影響

 これらの変化は、米国ユダヤ教委員会と反中傷連盟(ADL)の30年にわたる努力のたまものだ。1965年以来、特にここ20年の間、教皇ヨハネ・パウロ二世のもとでユダヤ教とカトリックの関係が改善され、彼らはそれをオーバーアマガウの受難劇に反映させようと運動を続けてきた。その間バチカンは、ユダヤ人はイエスの死に責任がないとする歴史的な回勅を発行した。

 前回の公演でも、ユダヤ人のグループがカトリックの学者や神学生と共にいくつかの変更を加えている。だが、依然として大きな問題のある衣装や舞台装置、台本の一部に変更を加えたこの10年の間に、いちばん重要な改革が起こったといえるだろう。

 その過程で、二人は米国ユダヤ教委員会のアーヴィング・B・レヴァインと交渉を重ねた。レヴァインは宗教間交流問題の専門家であるとともに敏腕ビジネスマンで、差別的な部分の撤廃を求める話し合いの際、まるで家の値段の交渉をするようにしつこく食い下がった。レヴァインは次のように回想する。「血の誓約ははずさなければならないと私が言うと、フーバーはそれはできないと言いました。そんなやりとりを何度も繰り返し、とうとう彼は折れましたよ」

 問題は、フーバーら若い改革派がオーバーアマガウの議会で少数派だったことだ。だが最終的には改革派が優勢になり、1998年の夏に米国ユダヤ教委員会の代表者がフーバーとスタクルと町の役員を訪ね、台本の変化を閲覧した。

 その際、同委員会で宗教間交流問題の責任者をつとめるラビ・ジェイムズ・ルディンは、興奮して次のように語った。「すばらしい進歩だ。これで反ユダヤ主義の常套句に終止符が打たれるだろう」。世界中で上演されているキリスト受難劇の「祖父母」であるオーバーアマガウが、すべての見本となることを願っていると彼は言う。

●今も台本に手が加えられている

 それ以来、フーバーとスタクルは3ヶ月ごとに台本の変更を議会に提出している。「我々のルーツはユダヤ人であり、ユダヤ人と我々は兄弟なのです。受難劇はその理解を深めるものでなければなりません」とスタクルは主張する。ほとんどの変更が議会で承認された。「まさに大変革です」とレヴァインは言う。「彼らは我々の望みを、事実上ほとんどすべて叶えてくれました」

 だが、問題は依然として残っているため、フーバーとスタクルは本番が差し迫った今になっても台本の変更を続けている。ルディンが言うには、最大の問題は受難劇そのものの性格だ。「受難劇本質的に問題を抱えている。イエスの死に関しては、程度の差こそあれ必ずユダヤ人が責められるからだ」

 そのため、たとえ差別的な表現を除いたバージョンであってもユダヤ人は不快感を覚える。反中傷連盟で宗教交流問題の責任者をつとめるラビ・レオン・クレニッキによると、残された問題の一つはパリサイ派とピラトの関係の描き方にあるという。「台本が変更されても、パリサイ派は依然としてイエスを殺す陰謀の黒幕として描かれています。ピラトはそれに利用された哀れな手先というわけです」とクレニッキは言う。「だが、ピラトは哀れな手先などではありませんでした。とても罪深い人物で、最後にはその残酷さをローマ政府に咎められて失脚しています」

 アメリカの新約聖書学者がユダヤ教の指導者に招かれ、新しい台本の検分に当たった。彼らの間でも、この台本が歴史に忠実で、カトリックの新しい方針とも一致するかどうか意見が分かれている。

 シカゴにあるカトリック神学校のジョン・ポーリコウスキー神父は言う。「ユダヤ教とキリスト教の関係に対する教会の新しい方針が、これで観客にきちんと伝わるかどうか疑問が残る。たしかにイエスのメッセージにユダヤ教の概念が多数取り入れられたが、根本にある神学論はそれほど変化していない」

 フィラデルフィアのテンプル大学でカトリック思想学の教授をつとめるレナード・スウィドラーはこれに反論する。「キリスト受難劇というものがもつ本質的な性格を考えれば、新しい台本はユダヤ世界に対して非常に前向きであると言える」と彼は言う。

 最近の神学論やバチカンの声明は親ユダヤ的であり、ヨハネ・パウロ二世のイスラエル訪問の結果、カトリックとユダヤの関係はよりいっそう改善された。ユダヤ教指導者の中には、そうした状況をふまえてフーバーとスタクルが古い台本を破棄して新しく書き直したと考える者もいる。

 「たしかにかなり多くの改善がなされたが、問題のある部分も依然として残っている」とルディンは主張する。「それがはっきりと台本に書かれている部分もあれば、それとなく示唆している部分もあり、将来に禍根を残すだろう。オーバーアマガウの受難劇は、およそ50万人が観るといわれている。この数字を軽く見ることはできない。最近の和解の潮流に反する勢力によって利用されるおそれがある」

 だが、すでにリハーサルが始まっていることもあり、フーバーとスタクルはまた一からやり直すつもりはない。「ユダヤ教の代表者との話し合いはこれからも続けますが、問題は小さなことばかりなので、台本を新しくする必要はないでしょう」とフーバーは言う。

 オーバーアマガウのクレメト・フェンド町長も、今のところフーバーと同意見だ。「この受難劇の台本に決定稿は存在しません。だからこそ、こんなに長い間続けられてきたのです。変化は常にあり、今後もそうでしょう」


(Jerusarem Report May, 8 2000)


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