フーバーによる紹介

(c)Verkehrs- Und Reiseburo Gemeinde Oberammergau OHG 生と死の劇
死の恐怖の瞬間に約束された生と死の劇、これが1633年から続くオーバーアマガウ受難劇の歴史の始まりです。30年戦争の中期、数ヶ月にわたったペストの被害の後、オーバーアマガウの人たちは10年ごとに『私たちの主イエス・キリストの受難と死、そして復活の劇』を演ずると誓願を立てました。1634年のペンテコステ(聖霊降臨日)に、ペストで亡くなった人たちの墓のある墓地に建てられた舞台で初めてその誓願を果たしました。2000年、オーバーアマガウはたびたびの迫害にもかかわらず数世紀にわたって続けられてきたその劇を40回上演します。中世ヨーロッパ中で上演され16世紀に禁止された多くの受難劇は、バロック-カトリックの南ドイツでの全盛期を経た後、啓蒙思潮の時代に引き続く18世紀中期にも禁止されました。しかしオーバーアマガウだけは一人その伝統を守り続けました。それは誓約に対する責任感だったのでしょうか。あるいは近くのEttalとRottenbuchの修道院の神学的支援だったのでしょうか。ともかくその人々は君主選挙人から特権を得ることに成功し、このように舞台の上でイエスの受難を描くというすばらしい事業を19世紀へと救いだしたのです。

「人間性」をもった人
今日、教会は「人間性」をもった人としてイエスをすべての人に述べ伝えています。この劇においても同様です。今までこの劇の350年の歴史を通して発展してきた種々のステージからなる基本は、今もテキスト(Othmar Weis/Joseph A. Daisenberger)とステージと音楽(Rochus Dedler)を固く守っています。しかしオーバーアマガウ受難劇の特徴は、特に物語に挿入された活劇にあります。イスラエルの信仰の歴史を描いたこれらの対照は、イエスは何を望んだのか、イエスは何に対して抵抗したのか、そしてこの外見上要領を得ない欠点のドラマの表面の下に起こったことの共感的な理解へ観衆を導こうとするものです。オーバーアマガウは一方では「かつて語られた最も偉大な物語」を伝えようとするためにその伝統を大切にしていますが、それでもなおいつの年代においてもそれ自身の命と信仰の歴史の範囲以外でこれを語ることは不可能でしょう。生きている真実のドラマを陳腐な決まり文句で語ることはできませんし、主題への個人的なアプローチを必要とします。(すみません。この段落は何を言っているのか全然分かりません。まるっきりの誤訳じゃないと思うんですけど。)

今日の受難劇
この精神で数年間の検討の結果、テキストと音楽は根本的に改訂されました。数え切れないほどのリハーサルを行いながらセッティングやコスチュームが変更されました。約6時間の上演中、出演者や歌手、奏楽者、裏方など2000人以上のオーバーアマガウの人々は、命と希望の根元としてのキリスト教をステージへと運びます。
Huber
Otto Huber(アシスタント・ディレクター兼リテラリー・アドバイザー)

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